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Eric Stewart
Eric Stewart
本名Eric Michael Stewart。1945年1月20日、マンチェスター生まれ。瞳の色はブラウン、髪はダークブラウン。身長は70年当時、5フィート10インチ。父の名もEric、母はConnie。Carol、Jean、Sharon、Gillianと4人のきょうだいがいる。
Nansen Street Junior School、Openshaw Technical High Schoolを出て、広告代理店に勤務。この間、独学でギター、ピアノを習得。1963年、Wayne Fontana & The Mindbendersでメジャー・デビュー。68年Mindbenders解散、ストックポートのInter City Studioを買い取り、Strawberry Studioと改称。レコード・エンジニアとしての腕を磨く傍ら、Kevin、Graham、Lolとともにさまざまなミュージシャンとセッションを重ねる。70年Hotlegsでシーンに復帰。72年から83年までと、約9年のブランクをはさみ、92年から95年まで10cc。10ccの活動休止中は、Agnetha(元ABBA)のアルバムプロデュース、Paul McCartneyとのコラボレート、FreudianaおよびAlan Parsonsのアルバムへのヴォーカリストとしての参加などが、主な活動として挙げられる。2003年、ソロ・アルバム「Do Not Bend」発表。
妻Gloria(旧姓Monika、元モデル)との間に娘Dietaと息子Jodyがいる。
昔も今も、クルマが大の趣味である。
本名Kevin Michael Godley。1945年10月7日、マンチェスター生まれ。瞳の色はブラウン、髪はダークブラウン。身長は70年当時、5フィート8インチ。父Edwin、母Gladys。きょうだいはいない。
Sedgeley Park County Primary School、North Cestrian Grammar School、Manchester College Of Art、Ashton-Under-Lyme College Of Art、Stoke-on-Trent College Of Artを卒業後、Lolと再会。共同でグラフィック・デザインなどをする傍ら、音楽活動。63年頃、Sabresに加入。65年、GrahamらとMockingbirds結成。解散後、66年頃からLolと再び曲作りを始め、Harvey Lisbergの事務所と契約。Grahamがマネジャーとなる。68年のFrabjoy & Runcible Spoon名義をはじめ、変名シングルを出しながらStrawberry StudioでのセッションがHotlegs〜10ccに発展。
72年から76年10月まで10cc。74年ごろ、マンチェスター工科大学の協力を得て、ギター・アタッチメントGizmoをLolと共同開発。77年から87年までGodley & Creme。80年頃からプロモ・ヴィデオの制作を開始、84年にはHerbie Hancock「Rockit」などでMTV Video Music Awards6部門受賞。97年、Lolと別れた後もヴィデオ監督を続けている。
妻はSusan(旧姓Adelman)。
Kevin Godley
Kevin Godley
Graham Gouldman
Graham Gouldman
本名Graham Keith Gouldman。1946年5月10日、マンチェスター生まれ。父Hymie、母Betty。
Sedgeley Park County Primary School、North Salford Secondary Modern Schoolを出た後、紳士服店に勤めながら63年に自身のバンドWhirlwindsを結成。その後曲作りも始め、Yardbirds、Hollies、Herman's Hermitsなどに採り上げられる。Mockingbirds解散後、いくつかのユニットやソロ活動を経て67年にMindbenders加入。解散後もStrawberry Studioの共同オーナーとしてEricとパートナーシップを継続。Kasenetz Katzセッション、Strawberryジャム期を経て72年から83年まで10cc。その後Andrew Goldと親交を深め、WAX結成。92年に10cc再結成も、95年にEricと訣別。現在は、Rick Fenn、Paul BurgessらとGraham Gouldman Bandとして活動中。
Harvey Lisbergの妻の妹Susan(旧姓Gotlieb)との間に一男一女があったが、86年頃離婚、88年レコード会社で働いていたGillと再婚しRosannaとAlexanderの2人をもうけたがその後離婚。Gillは2003年、自宅で急死した。
本名Lawrence Neil Creme。1947年9月19日、マンチェスター生まれ。瞳の色はブラウン、髪はダークブラウン。身長は70年当時、5フィート4インチ。父はHarold Joseph、母はBetty。Susanという瓜二つの姉(妹?)がいる。
Stand Grammar School、Ashton-Under-Lyme College Of Art、Birmingham College Of Artを卒業。Sabresを経てKevinと再会後はずっと行動を共にする。G&Cとしてヴィデオ監督の道を進むが、映画音楽にも興味のあるLolは単独で映画「Lunatic」を監督したほか、「History Mix Vol.1」をプロデュースしたTrevor Hornの片腕的存在となり、現在はArt Of Noiseの一員として活動を続けている。
妻はAngie(旧姓Monika)。Ericの妻Gloriaの妹である。息子のLalo(レイロ)もギタリストで、Arkarnaというバンドでアルバムを1枚出している。
Lol Creme
Lol Creme
Paul Burgess
Paul Burgess
本名同じ。1950年9月28日、マンチェスターのストレトフォード生まれ。公務員だったが、71年からプロとなり、72年4月にAnkh(のちにMandalabandを結成するDavid Rohlのバンド)に加入し、フォノグラムとの契約でアルバムを制作するが、発売されなかった。この時レコーディングで使ったのがStrawberry Studioで、10ccの4人と知り合い、サポート・ドラマーにスカウトされた。10ccの最初のツアーから帯同している。
G&C脱退後、正式メンバーに格上げされたが、81年の「Ten Out Of 10」では再びサポート扱いに戻っている。10ccには83年3月のツアーまで参加。82年頃からCamel、Jethro Tull、Magna Cartaなどのツアーに参加。Camelではアルバム「Stationary traveller」にも参加している。80年代はもっぱらツアー・ドラマーに徹し、Elkie Brooks(85)、 Joan Armatrading(86)、Alvin Stardust(87)、Gloria Gaynor(88)、Icicle Works(89/90)らをサポートしている。Icicle Worksではアルバム「Permanent Damage」にも参加。「家族と過ごす時間が欲しい」という理由で一時引退状態だったが、94年にMagna Cartaのツアー、95年からChris Farlow Bandでツアーおよびアルバムに参加、現在はGraham Gouldman Bandにも加わっている。
本名Richard Fenn。1953年5月23日、オックスフォード生まれ。Magdalen College Schoolを出てCambridge Technical Collegeに進むが、プロを志しHamilton Grayというバンドで3年過ごす(途中でGentlemanと改名)。このバンドの末期にPaulが客演したのがきっかけで10cc加入を要請された。加入直前には、Peter Greenとのセッションに参加している。77年のツアーから正式メンバーとなり、83年まで在籍。81年から82年にかけてMike Oldfieldのアルバム3枚に参加し、82年には欧州ツアーにも同行しているが、同年の日本公演には参加していない。Pink FroydのNick Masonと共同名義でアルバム「Profiles」を出し、その人脈でジャズ・フルーティストのMichael Mantlerのアルバム3枚にも顔を出している。ライブラリー・ミュージック(効果音やジングル、短いBGMなど)のLP、CDにも多数参加しているほか、TVやCMの仕事も多いという。
93年、10ccの再結成ツアーで10年ぶりにEric、Grahamと合流、95年の日本公演にも帯同した。その後は97年からGrahamとGouldman & Fennとしてツアーを行い、これが発展してGraham Gouldman Bandとなっている。
Rick Fenn
Rick Fenn
Stuart Tosh
Stuart Tosh
本名Stuart Macbeth Tosh。1947年9月26日アバディーン生まれ。4人兄弟の末っ子で、姉、2人の兄がいる。父親はEMIのセールスの仕事をしていた。Bloomhill Primary School 在学中の10歳の時にスネア・ドラムを買ってもらったのが、ドラムとの出会いだったそうだ。Kaimhill Secondary School、Forrester Secondary Schoolを出た後、家具のセールスマンを出発点にいくつかの職業を経験する。それと並行してバンド活動(67年にはThis'n'That というバンドにいたことを伝えるレコードもある)を続ける中で知り合ったのが David PatonとIan Bairnsonだった。
74年にPILOT結成。3枚のアルバムに参加したが76年、結婚を理由にBilly Lyallに続いて脱退。Roger Daltleyのアルバムなどに参加したあと、77年5月から10ccのツアーに参加、正式メンバーとなる。81年には他の4人と同様にメンバーからは外れるが、ツアーサポートは83年秋まで続けた。
10cc解散後、80年代中盤から後半にかけての活動歴は、Cliff Richardのツアーサポート説などが言われているが、今ひとつはっきりしない。ともあれ、93年と95年の10cc再結成ツアーでは来日もし、元気な姿を見せてくれた。それと前後して、ミュージカルの仕事にも精力的に取り組んでおり、現在では彼のライフワークといっていいほどの比重を占めている。
本名Anthony O'Malley。1948年7月15日ハロウ生まれ。Ronnie Jones and The Q Setというバンドのキーボーディストからプロの道に入り、Rod Stewart Bandのベースプレイヤーとして知られるPhil ChenのバンドThe Countsに在籍後、69年にArrival結成(キーボード、ヴォーカル)。70年には来日を果たしている。Arrivalのヴォーカリスト4人は74年、他のメンバーを加えKokomoを結成。人気バンドとなったが77年1月に自然消滅に近い形で解散。ツアーメンバーとして10ccに加入、ツアー中に正式メンバーに迎えられ、来日もしている。「Live And Let Live」では「Art For Art's Sake」のリード・ヴォーカルが印象的。しかし、音楽性の違いからツアー終了後脱退。
その後82年には再結成Kokomoにも参加したが、アルバム1枚で消滅。80年代後半は様々なセッションをこなしたというが、レコードとして残っているものはないという(Tony談)。それでも地道にライヴ活動は続けており、95年のRonnie Scottsでのライヴ「Naked Flame」で久々にシーンに復帰、その後も「Sunshine Everyday」(97年)、「Freedom Road」(99年)、「Oh!」(03年)とソロアルバムを出し続けている。現在はベルギーに住み、ヨーロッパ中心にライヴ活動をしている。
Tony O'Malley
Tony O'Malley
Duncan Mackay
Duncan Mackay
本名同じ。1950年7月26日リーズ生まれ。父の仕事の関係で南アフリカで少年時代を送り、ジャズおよびロックグループでオルガンを弾いていた。74年に英国に戻る直前、ファースト・ソロ・アルバム「Chimera」を発表。Baker-Gurvitz Army、Jon Hisemanのアルバムに参加後、第2期Cockney Rebelに加入。ソロ・アルバム「Score」(77年)、「Visa」(80年)を発表、Kate Bushの初期のアルバムやAlan Parson's Projectにも参加している。
10ccには78年3月に加入。キーボードのほかヴァイオリンも担当している。「Look Hear」ツアー終了後に脱退。10ccでは「Bloody Tourists」(78年)、「Look Hear」(80年)に参加したほか、Grahamのソロ「Animalympics」「Sunburn」(いずれも79年)、Ericのソロ「Girls」(80年)に参加している。
モーグをフィーチュアしたライブラリー・ミュージックのアルバムを数枚出しているほか、75年のLinda Lewis「I'm Not A Little Girl Anymore」、82年のBudgie「Deliver Us From Evil」などセッションも数多い。
97年にはAlan Parsons BandやELO IIで知られるNeil LockwoodとLockwood Mackay名義で「Songs To Fall In Love To」を出している。2001年現在、南アフリカのケープタウンに住んでいるらしい。
本名Vic(Victor?) Emerson。マンチェスター生まれ。Bury Grammar School卒。6歳からピアノを始め、在学中から週末になるとマンチェスターのクラブでオルガンを弾いていたという。また、地元の映画館で上映の合間にオルガンを弾いたりもしていた。17歳で卒業後プロに転じ、73年にSad Cafeの前身であるMandalabandに加入(76年からSad Cafe)。
81年の「Ten Out Of 10」でキーボーディストとして客演、その後82年、83年のツアーに同行している。また、Eric、Graham、Rickと4人でのTV出演もある。
10cc解散後は、Agnethaの「Eyes Of A Woman」にEricやRickとともに参加しているが、10ccやSad Cafe時代の仲間の参加している作品に時折クレジットがある程度で、詳しい活動歴については現在調査中である。
Vic Emerson
Vic Emerson









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